「お客様は神様」という言葉が象徴するように、これまで日本の企業では、顧客からの苦情や要求に対して、できる限り丁寧に対応することが大切だと考えられてきました。
もちろん、顧客からの正当な意見や苦情は、商品やサービスを改善するための重要な情報です。しかし近年、顧客や取引先、施設利用者などから、長時間の拘束、繰り返しの要求、威圧的な言動、暴言、脅迫的な発言など、社会通念上許容される範囲を超えた行為が問題となっています。
こうした「カスタマーハラスメント(カスハラ)」への対策について、2026年10月1日から事業主に防止措置が義務づけられました。これは単に「お客様への対応を厳しくする」という制度ではありません。
では、なぜ今、カスタマーハラスメントが法律によって対策を求められるようになったのでしょうか。
その背景には、働く人の安全と健康を守ること、そして問題への対応を個々の社員に任せず、企業として組織的に対応する必要性が高まったことがあります。
目次
1.カスタマーハラスメントが「個人の問題」ではなくなった
カスタマーハラスメントが法制化された大きな理由の一つは、被害が一部の社員だけの問題ではなく、職場全体に影響を及ぼすことが明らかになってきたことです。
厚生労働省の調査では、過去3年間に「顧客等からの著しい迷惑行為」に関する相談があった企業・団体は27.9%でした。また、迷惑行為によって「通常業務の遂行への悪影響」や「労働者の意欲・エンゲージメントの低下」などが生じたとされています。
例えば、顧客から長時間にわたって電話で怒鳴られた社員がいたとします。
その社員が精神的な負担を抱えるだけでなく、その対応に何時間も費やすことで、他の社員の仕事が滞る可能性があります。また、「また同じお客様から電話が来るのではないか」と不安になり、仕事への意欲が低下することも考えられます。
さらに、周囲の社員が「会社は自分たちを守ってくれない」と感じれば、職場への信頼感にも影響します。
つまりカスハラは、顧客と社員の間だけの問題ではなく、職場環境、社員の健康、業務効率、組織への信頼に関わる問題になっているのです。
そのため、「担当者が何とか対応する」という考え方から、「会社として社員を守る仕組みをつくる」という考え方への転換が求められました。
2.「正当な苦情」と「カスハラ」を区別する必要がある
カスタマーハラスメント対策を考えるうえで、非常に重要なのが、すべての苦情や厳しい意見をカスハラと考えてはいけないということです。
例えば、商品に明らかな不具合があり、顧客が「説明してほしい」「交換してほしい」と申し出ることは、正当な申し入れです。
一方で、その問題とは関係なく、社員に対して何度も人格を否定する発言をしたり、長時間拘束したり、威圧的な言動を繰り返したりする場合には、カスタマーハラスメントに該当する可能性があります。
厚生労働省の指針では、カスタマーハラスメントについて、顧客等の言動が、業務の性質などに照らして社会通念上許容される範囲を超え、その結果として労働者の就業環境が害されることなど、一定の要素を満たすものとされています。
ここで大切なのは、「お客様の要求だから何でも受け入れる」でもなく、「面倒な苦情はすべてカスハラとして拒否する」でもないということです。
企業には、顧客の正当な意見には誠実に対応しながら、社員の尊厳や安全を脅かす行為には毅然として対応するという、両方の視点が必要になります。
特に現場社員に判断を任せすぎると、「これはカスハラなのか」「どこまで我慢すればいいのか」と社員自身が悩んでしまいます。 だからこそ、会社として「どのような行為を問題と考えるのか」「その場合、誰に相談するのか」「誰が顧客対応を引き継ぐのか」を明確にすることが重要なのです。
3.「正当な苦情」と「カスハラ」を区別する必要がある
今回の法制化で特に重要なのは、カスタマーハラスメントへの対応を、社員個人の力量や忍耐力に任せないという考え方です。
2026年10月1日から、事業主には、カスタマーハラスメントを防止するための措置が求められています。
具体的には、会社としてカスタマーハラスメントに対して毅然と対応し、労働者を保護する方針を明確にすること、その方針を社員に周知・啓発すること、相談窓口を整備することなどが必要になります。
例えば、現場社員が顧客から執拗な要求を受けた場合、
「自分で何とかしてください」ではなく、
「一定の段階になったら上司へ引き継ぐ」→「必要に応じて管理職が対応する」
→「一人で対応させない」
という仕組みを整えることが重要です。
また、被害を受けた社員への心理的なケアも忘れてはいけません。
カスハラを受けた社員は、「自分の対応が悪かったのではないか」「もっと我慢すべきだったのではないか」と自分を責めてしまうことがあります。
そのため、管理職は事実関係を確認するとともに、
「一人で抱えなくてよかった」「会社として対応する」「あなたの責任だけではない」
というメッセージを伝えることも重要です。
カスタマーハラスメント対策は、単なる「クレーム対応マニュアル」をつくることではありません。
社員が安心して相談でき、会社が組織として対応し、必要に応じて心身のケアまで行える仕組みをつくることが本質なのです。
さらに、厚生労働省の指針では、カスハラの背景に、商品・サービス、接客、顧客とのコミュニケーション不足などがある場合も考えられるため、単に顧客を責めるだけでなく、企業側の改善にも取り組むことが重要とされています。
つまり、カスハラ対策は「顧客対策」であると同時に、「職場改善」の取り組みでもあるのです。
まとめ
~ 法制化の本当の意味は「社員を守る仕組みづくり」 ~
カスタマーハラスメントが法制化された背景には、顧客からの著しい迷惑行為が、社員個人の問題にとどまらず、心身の健康、仕事への意欲、職場環境、生産性、さらには人材の定着にも影響する問題となってきたことがあります。
今回の法制化を、「クレームを言うお客様を排除するための法律」と捉えるのではなく、
「正当な顧客の声を大切にしながら、社員が不当な要求や暴言などを一人で抱え込まなくてもよい職場をつくるための仕組み」と捉えることが大切です。
企業が今後取り組むべきことは、まず「何がカスハラに当たるのか」を社内で共有すること。そして、相談窓口、対応手順、管理職への引き継ぎ基準、記録方法、被害を受けた社員へのフォローなどを整備することです。
そして何より重要なのは、
「お客様を大切にすること」と「社員を大切にすること」は、本来、対立するものではない
という視点です。
社員が安心して働くことができれば、落ち着いた顧客対応につながり、結果としてサービスの質の向上にもつながります。
カスタマーハラスメントの法制化は、企業に「我慢する社員」を求める時代から、「社員を組織として守る会社」へと転換するための一つの契機なのです。
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